SUPPORT

follow us

【US-Japan レインボーキャンプ!】「Gay Parent Magazine」の一部を日本語で公開!

Gay Parent Magazine March-April 2021 | Issue #135

【US-Japan レインボーキャンプ!】開催に先立ち、メッセージ動画を寄せてくださったアンジェリンさんが出版されている「Gay Parent Magazine March-April 2021 | Issue #135」の一部を日本語で公開します。

 

「5人かぞく」

レベッカ・スタントン (Rebecca Stanton)

著者レベッカ・スタントンの妊娠中の写真とディラン出産後の写真

今年2021年で私たちの長女ディラン(Dylan)が生まれて3年になるよ。インディアナ州にあるミッドウエスト生殖補助医療センターでの人工授精(IUI)で産まれたんだ。私たちの今までの人生の旅の思い出を語りながら、生殖補助医療の治療や精子ドナー探し、その他にも面した様々な困難について伝えたいと思うんだ。そしてそのような困難について全く知らなかった人たちにも理解してもらえたらってね。

私は最初2回の妊娠は何も問題なく自然に身ごもることができ、とても幸運だった。私の妻に出会う前、私はヘテロセクシャルな結婚関係にあったんだ。女性との子どもを授かることがどんな手順になるかなんて、考えたこともなかった。ジル(Jill)に出会う前は、もう子どもは十分だろうと思ってた。自分勝手かもしれないけど、その時の生活はとても満足のいくものだったし、そこにたどり着くまでにとっても頑張ってきたからね。

ジルと私が付き合い始めた時、家族をもっと大きくすることについて話し合ったんだ。それが私たちにとっての次のステップのような感じがしたから。養子をもらうか、里子を引き受けるかってことも考えたよ。ジルは自分で子供を身籠りたいとは思っていなくて、もし家族を大きくするってなったら私が子供を授かることが一番だなって思ったんだ。

何から始めればいいのかなんて、私たちどちらも何も知らなかった。人工授精(IUI)や体外受精(IVF)で妊娠した人なんて周りに誰もいなかった。私たちはそのような治療を受けたいと思っていたけど、経済的に無理だろうって思っていたの。計画し始めた時も、疑問や心配事が絶えなくて、くじけそうになった。

健康保険が唯一の頼りだったし、一番大きな心配事だった。ファミリープランニングのどんな治療が保険に含まれていて、何が含まれていないのかがね。インディアナで私たちをサポートしてくれる生殖補助医療治療専門医を見つけるのはとても難しいだろうって思ったよ。私たちはとても不安だった。でもね、二人一緒だったら何とかなるだろうって思ったんだ。

後でジルの会社の社員健康保険が生殖補助治療のかなりの割合を払ってくれるってわかったんだ。とっても幸運なことだったよ。同性カップルのファミリープランニングも含んでいたんだ。本当にほっとした。こんな補償があるのは珍しいこと。特にインディアナ州ではね。インディアナ州のほとんどの雇用主は、同性カップルを対象にした保険補償なんて社員に提供していなかったからね。私たちが治療を受けたクリニックも、こんなことは珍しいって言ってたよ。

クリニックは私の産科医が紹介してくれたんだ。妊娠するための選択肢についてもたくさん説明してくれた。生殖補助医療のクリニックに足を踏み入れた時、とてもワクワクしたけど感情的でもあった。そして赤ちゃんを授かるやる気でいっぱいだった!過去の出産の経験から、私が妊娠するのが最適だってことになった。まだ33歳だったけど、担当のお医者さんは私にとってのリスクも高いって心配していた。年齢に加えて3回目の妊娠だったから、双子以上になる確率や早産になる確率も高くなるって言ってた。

何度も血液検査をして、次のステップは私の排卵をモニタリングすることと、精子ドナーを選ぶことだった。

ドナーの選択肢について探るために、私の担当の先生は評判の良い精子バンクのリストをくれた。でも何を期待したら良いのかも分からなかった。カタログをめくりながらどのドナーが一番イケメンかって探すわけではないからね。とってもたくさんの情報を読んで選ぶ必要があった。例えばドナーの家系の病歴とか、祖父母は何が原因で亡くなったのかとか、何人兄弟がいるのかとか、ドナーと家族はどのレベルの教育を受けてきたのかとか。ドナーの宗教、人種、好きな色、音楽の好みとか、何でも知ることができたの。私たちは彼らのことを知っているような気持ちになれたし、とても親近感を持つことができた。

未来で出会う私たちの子どもがどんな見た目でどんな性格なのか、頭で何度も想像したね。ドナーの赤ちゃんの時の写真の数々がとっても可愛くて、写真だけでこの人って決めるのは無理だった。多分ドナー選びが一番大変なことだったね。各ドナーごとに2歳から10歳までの写真4~5枚もあるの。

青い目とか金髪とか、身長や、右のほっぺにえくぼがあるか、鼻にそばかすがあるかとか、見た目の特徴を細かく見たよ。ジルと私は、ほくろがあるドナーとオーボエを演奏するドナーは選択肢から外そうね、って冗談も言いあった。とっても真剣な作業だったけど、真剣すぎて逆に笑っちゃうようなこともたくさんあった。夢の赤ちゃんをつくりだすために何人ものプロフィールをめくって選ばなきゃいけないんだ。でも結局はドナーの見た目より中身で選んだよ。

例えば彼の人格、感受性、ユーモアのセンス、才能、知能、そして精子バンクとのインタビューの声や話し方がどうだったかで選んだんだ。彼は医学部の学生で、アウトドアやスポーツそして芸術が好きだった。音楽の才能もあって、彼からの精子提供によって人生が変わるであろう人たちに向けた優しくて心あるメッセージもあったの。彼はとても活発で、人生への情熱がとても伝わってきた。家族、教育、そしていつか自分の歯科を開くという夢をとても大切にしているみたいだった。匿名のドナーだったけど、彼の性格や優しさからこの人が一番最適だろうって自信を持って決めることができた。

でも精子提供によって子どもを持とうとしていることで、友達や家族、そして遠慮ない他人からも、不快な予想だにしない質問をたくさんされた。ジルの卵子を摘出して私に移したのかって聞かれた時は勝手に私たちのプライバシーにずかずか踏み込まれたような気がして嫌だった。詮索好きな人たちをなるべく教育できるようにって、私たちの生殖補助医療のプロセスをなるべくオープンに話すように努力した。でも私たちのプライバシーを守りつつ、自分たちも楽しんで過ごせるように。

産まれたばかりのディランを抱っこするジル

できるだけ自然に近い形で妊娠したかったから、人工授精 (IUI)を選んだ。でも1回目の人工授精は失敗してしまって、私たちはとても落ち込んだ。でも前もって失敗した時のための準備はしていた。ドナーからの精子をもう一度クリニックへと送ってもらって、次の月にもう一度挑戦した。そして2回目の人工授精で成功した!

妊娠検査薬の結果と、クリニックでの血液検査で妊娠してるって確認できたから、担当のお医者さんがプロゲステロンを処方してくれた。プロゲステロンは “妊娠ホルモン” って呼ばれていて、受精卵を子宮に着床させることと健康な妊娠を保つことを手助けする効果がある。安定した妊娠となるように、最初の12週間プロゲステロンを飲んだの。

左: 新たな妹に会うケイトリン (Katelyn)とハンナ (Hannah) / 右: ディランのベビー服を抱えるスタントン、ケイトリンとハンナ

日の出から日の入りまでずっと吐き気がしていた。つわりは朝っていうけど私の場合は一日中だった。あれだけ吐いたのになぜか体重は増えた。食材スーパーに行くたびにずっとひどい生肉の匂いを嗅いでいる気がした。妊娠期間中何度かスーパーで強烈な体験をしたよ。突然床に吐いてしまったり、臭いに耐えきれなくてカートをほったらかしてジルにも知らせずに外に飛び出したり。妊娠期間の最後の方は、気づいたらアイス売り場に立っていて、そしてくしゃみをした。その後どうなったか分かるよね。今となっては思い出として話すことができるけど…

妊娠最終週になって、赤ちゃんに会う気満々の時に、お腹の赤ちゃんったら私のあばらにキックと肘打ち!その日の夕方私とジルはディランが生まれてくる前の最後の晩餐だねって冗談を言い合った。超大盛りのスパゲッティとガーリックブレッドを作ったよ。私は2杯もおかわりして、満足していい気分だった。その時、こうやってとても幸せな一晩を過ごしながら出産に入ることができるのかってとても満足な気分だった。

その日の夜遅く、寝室に向かった時、とっても気分が悪くなった。私はきっと晩御飯を食べ過ぎたせいだろうって思った。ジルと私はベッドから出てスーパーマリオで遊ぶことにした。ご飯の消化を待ってお腹の痛みが弱くなったらゆっくり休めるだろうって。

でも何をやっても調子の悪いままだった。ヨガボールを持ってきて、ビデオゲームをしながら一時間くらい腰回りのストレッチをした。そしてようやく、少しましになってきたから寝ることにした。

ぐっすり眠りについて二時間後、突然びしょびしょになって目が覚めた。起き上がって、考え込んだ。私もしかしてお漏らししちゃったの?! って。どうしよう、ついにやっちゃったんだって。でも違った。破水だった。パニックになりながらジルを起こして、とりあえずお風呂場に駆け込んだ。ワクワクする気持ちと信じられない気持ちでいっぱいだった。でももう後には引けない!

ジルに病院に電話して、破水したことと今から病院へと向かうことを伝えてって言った。気持ちは落ち着いていたんだけど、まず始めに思ったことは、何かご飯食べなきゃって。だって出産に入ったら何時間も何も食べられないかもしれないから!出産は初めてじゃないからね。でも自然に破水したのは初めてだったから、これに関してはどうすればいいのかってわからなかった。動く度にどんどん水が出てきた。

陣痛の間の時間も短くなってきたけど、幸運なことに私たちは病院から数分のとこに住んでた。椅子や床をびしょびしょにしてしまわないように、病院に入る時にパンツにタオルを詰め込んだ。看護師さんがすぐに駆けつけて車椅子で分娩室まで大急ぎで向かった。まるで映画のような剣幕だったよ。

お出かけ中の5人

左からスタントン、ディラン、ジル

今までの出産と同じく、分娩はとても早く進んだ。痛みのこととか無痛分娩の麻酔を打って欲しいとか考える暇もなかった。そんなこと考えるにはもう遅かったんだ。もう余計なことは考えないで息を吸って吐いてに集中することしかできなかったよ。ジルが何かを言っているのが見えた。応援しくれている、手助けしようとしているって分かったけど、何も聞こえなかった。赤ちゃんを押し出すことしかできなかったんだ。

病院に到着して2時間半後、ディラン・リース (Dylan Reese) はうぶ声をあげた。産まれた瞬間からもう親指を加えて抱っこしてもらう準備万端!

2018年2月2日に、私たち5人家族の全員が揃った。出産に立ち会った医師と看護師さんたちみんなとっても素晴らしくて、入院中もたくさん助けてくれた。ジルが初めてお母さんになる瞬間を見れて本当に良かった。病院でディランを初めてお風呂に入れるのを見たときは感動したよ。ジルとディランは一目惚れしたみたいに出会った瞬間からお互いが大好きで、その瞬間を見れてとても良かった。

私たちはインディアナに住んでいて、同性カップルとして子どもを持つことについてたくさん予測してなかった困難にも度々遭った。退院する時に色々な書類にサインしなければならなかったんだけど、赤ちゃんの出生証明にサインする時にジルもサインしていいのかって病院側もわからなかった。ジルは結局その日は出生証明書にサインできなかったけど、1週間後に保健所の公証人の立会いのもとディランの親って承認してもらうことができた。

ディランが生まれてからの3年間を振り返ると本当に非現実的なことばっかりだった。赤ちゃんを産むことによってとてもたくさんの強い感情が溢れてくるからね。ワクワクやドキドキ、恐れとか不安とか。時には予想していない形で現れることもある、例えばうつ病として。赤ちゃんを産んだお母さんにとってはよく起こることなのにまだちゃんと社会に理解されていない。

ケイトリン、ディラン、ハンナの最近の写真

赤ちゃんを産んでから数週間の間、多くのお母さんは洪水のようにいろんな感情が溢れ出てくる日々を経験する。アメリカではベイビー・ブルーっていうね。特に出産が初めてのお母さんは、産後うつ (PPD) というより長く続く鬱を経験することもある。私は産後うつの初期症状が出てるって認めたくなかったけど、私の産科医とディランの小児科医の先生たちのおかげで向き合うことができた。私はすぐに産後うつの治療を受けなかったから、必要以上に長い期間苦しむことになった。無気力感がすごくて、理由もなくひどく落ちこむ時もたくさんあって、急激な感情の起伏、不安感、辛い感情がすごかった。でもディランが4~5か月くらいの時まで産後うつなんだって気づくことができなかった。その時はもう仕事に戻っていて、ディランの世話もちゃんとできていた。でも自分のケアが全くできていなかった。どんどん自分と世界が切り離されていく感じがした。

仕事にちゃんと行くことはできていたけど、家に帰ってきた瞬間から次の日の出勤までずっと寝ていたかった。大泣きすることもあって、ジルが私をベッドから引きずり出して私にシャワーを浴びさせなきゃいけない時も何度もあった。でも鬱から回復するために、お医者さんからの治療とカウンセリングをしっかり受けることができた。ジルがパートナーで本当に良かった。私がどれだけひどい状態でもあきらめなかったから。一緒に戦ってくれてるってよくわかった。そしてこの辛い体験も一緒に家族を築く冒険の一部だから。良いことも、悪いことも、誰にも話せないようなおバカで恥ずかしい思い出も。最高の時も最悪な時もずっと二人で支えあってきたから、なんでも乗り越えられた。

二人で一緒に新たな命を生み出して、そして今はこの小さな命を育てていく使命がある。もしあなたも生殖補助医療の治療を望む場合、前もってたくさんリサーチするのをお勧めするよ!保険の補償、ドナー精子の購入費用や、その他のかかりうるコストについてしっかり調べること。あなたの産科医としっかり相談して生殖医療クリニックを選ぶこと。あなたの州の同性カップルによる養子縁組の法律を確認して、出生証明にパートナーと二人でサインするためには何が必要なのか確認すること。私たちが治療を始めた2017年からインディアナ州ではたくさんのことが変わった。私たちが治療を行った生殖医療クリニックは今、LGBTQ+カップルをホームページにどんと載せているの。そして今は裁判所を通さなくてもどちらの同性カップルも出生証明書にサインできるようになった。▼

レベッカ・スタントンは詩や短編小説を書くことがずっと大好きでした。彼女はUnder Our Roofの著者でもあります。ふたりのお母さんと暮らす家族の愛に溢れるお話の絵本です。彼女は妻であり、三人の若く元気溢れる子どもたちの母親でもあります。子どもたちも彼女のように本が大好きです。彼女の本に対する情熱は、仕事にも表されています。出版会社でクレームアナリストとして働いています。レベッカと彼女の家族は旅行や楽しい思い出を一緒に作ること、そしてDIYが大好きです。この記事の写真はレベッカのご厚意により頂きました。

 

「共和国のゴースト」

ギャリー・フルトゥバイズ (Gary Hurtubise)

ニコラス・マルコヴィック (左) とオレリアン・イブナー、そして娘のルイーズ

今月はオレリアン(Aurelien)とニコラス(Nicolas)のお話です。フランス人である彼らは自分たちの家族を築くために世界中を旅しましたが、母国では家族だと認められませんでした。新しくリリースされる Ghost of the République (共和国のゴースト)というドキュメンタリーは彼らについて特集しています。

オレリアン・イブナー(Aurelien Evenor)は1982年にエクス=アン=プロヴァンスにて生まれました。フランス南部、地中海から30キロほどの場所にある町です。両親はどちらも医療分野で働いていて、彼には二人の妹もいます。オレリアンは早くから自分がゲイだと自覚していて、17歳の時に両親にそのことを話したそうです。「私にとってはとっても困難だったよ」とオレリアンは話します。「でも両親の反応はとても安心感を与えてくれたんだ。」友達や両親はいつも支えになってくれましたが、セクシュアリティのせいで家族を築くことはないだろう、という思いはずっと重くのしかかっていたと言います。

ニコラス・マルコヴィック(Nicokas Markovic)は1980年にパリ郊外のコロンブという街で生まれました。お母さんは会計士でお父さんは電気機器の工場で働いていたそうです。ニコラスもずっと自分がゲイだと自覚していましたが、2004年にパリのシャンゼリゼでオレリアンと出会うまで、ずっと両親にゲイだと打ち明けることができずにいました。

ニコラスにとって、両親に打ち明けるのはとても困難なことでした。彼の唯一の姉が、レズビアンだとすでに両親にカミングアウトしていました。その時に、両親は将来孫の顔が見ることができないのかと姉とニコラスにとっては辛い反応をとってしまったのです。しかしそんな心配は無用だったよう。ニコラスがカミングアウトした時、両親も友達もみんなすんなりと受け入れてくれました。

ニコラス・マルコヴィック (左) とオレリアン・イブナー

パリで出会ったその日から、オレリアンとニコラスはずっと一緒です。交際から10年を機に結婚することを決めました。フランスが Les Mariage pour Tous (結婚を全ての人に)を成立させた翌年です。これによりフランスは同性婚と同性カップルによる養子縁組を合法とする14番目の国になりました。パリのエッフェル塔の下でニコラスはオレリアンにプロポーズしました。どちらもの家族と友人たちも証人として立ち会いました。2014年7月に結婚式を挙げました。そのわずか数週間後、二人は新たな人生の始まりとしてアメリカへと旅立ったのです…

二人が出会った時、二人が人生を共にすることになるとどちらも感じていたそうです。そしてどちらもが家族を持つことに関して強い願いを持っていました。「とは言っても、道のりは長くて困難なんだってすぐに気づいたんだけどね」とオレリアンは思い出しながら話します。2013年に結婚の自由を全ての人にが成立するまで、同性カップルは養子をを受け入れることができませんでした。同性婚と養子縁組が合法となっても、同性カップルによる養子縁組は稀で複雑なものでした。二人はそのような複雑すぎる手順は望んでいませんでした。

ニコラスとオレリアンは(ストレートの女性もしくはレズビアンカップルとの)共同養育を考えましたが、二人にとって最適な選択肢ではないと思いました。

最終的に、二人は代理母出産 (gestateon pour autrui: GPA)に決めました。しかしその決断には大きな壁が待ち受けていました。フランスでは1994年から代理母出産は法律で禁止されていて、そのような目的で出産した女性から養子として子どもを受け入れることも禁止されているのです。

しかし二人は諦めませんでした。家族や友人たちからの応援と国外での代理母出産を手助けするフランスの団体の支援を受け、二人は海外へと旅立ったのです。そしてすぐにアメリカのエージェントを通して代理母出産をするのが一番自分たちのニーズに沿っているだろうと決断しました。

“まず始めにしたことは、カリフォルニア州の代理母出産エージェントとラスベガスの人工授精クリニックを選んだことです” と二人は言います。アメリカに着いてすぐに、代理母のクリスタル (Crystal)とドナーのダイアナ (Diana)と会いました。二人はどちらもラスベガスに住んでいました。

“二人に会った瞬間はとても感動的でした”と二人は思い出しながら語ります。オレリアンとニコラスのこれからの人生にとても大きな影響を与える二人の女性と良い関係を築くことができたことを、彼らはとても嬉しく思っています。

さらに幸運なことに、1回目のクリスタルへの人工授精が成功しました。妊娠後も順調に進み、オレリアンとニコラスは9か月間の間何度もアメリカとフランスを往復しました。

人工授精からの過程の中で、出産が一番困難なものとなりました。赤ちゃんのルイーズ (Louise)を産むために、帝王切開を施さなければなりませんでした。

オレリアンとニコラスは出産後1か月間クリスタルと一緒に過ごしました。フランスに帰る前にルイーズにしっかり母乳を与えるためです。二人はルイーズをダイアナにも会わせることに決めました。どちらも二人の心に深く残る思い出です。

喜びもつかの間、現実に向き合う時はすぐにやってきました。二人はフランスに帰って母国の法律に沿った手続きをしなければならないのです。 “フランス政府はルイーズを私たちの娘だって認めなかったんだ。彼女のフランスでの出生証明と国籍を得るのはとても長くて複雑な道のりになるよ” とオレリアンは言います。

ニコラス・マルコヴィック (左) とオレリアン・イブナー、そして娘のルイーズ

二人は何年もの間、法律の抜け穴を潜り続けて、フランス政府からの無理解や拒否に面してきました。 “私たちにとっては新しいことです。この国に生まれた市民で、法律を破ったこともない。それなのに私たちの娘の不可侵であるはずの権利のために戦わなければならずにいるんだ。”

後、ルイーズはフランスとアメリカのどちらもの国籍を得ることができました。ニコラスとオレリアンはどちらも彼女の法的な父親として登録されていて、ルイーズにはどちらもの名字も与えられています。しかしフランス政府は未だにルイーズの出生証明書をアメリカのものからフランスのものへと書き換えることを拒否しています。これは国外で生まれたすべてのフランス国民が持つ権利なのにです。フランス政府はルイーズを二人の家族登録 (戸籍藤本)に含むことも拒否しています。

国外での代理母出産を通して子どもを持つことによって生じる困難を理解していながらも、代理母のクリスタルが今後まだ他にも子どもを持つことを考えているかと聞いた時に、二人はすぐにもちろんと答えました。

そして3年後、今度はオレリアン、ニコラス、娘のルイーズと他の家族も連れて、息子のテオドール (Theodore)の出生に立ち会うためにラスベガスへと帰ってきました。ダイアナとクリスタルもまた代理母と卵子ドナーとなりました。

“2人目の時はスムーズに進んでとてもラッキーだったよ。(ダイアナとクリスタルとの) 絆を深めることができてとっても幸せだよ!”

家族として法的に認めてもらうために自らが面した困難に基づいて、オレリアンとニコラスはフランス社会に変わってほしいことがあるといいます。 “自分と違った人たちも受け入れられるようになってほしいだけなんだ。偏見に基づいて決めつける前にちゃんと理解しようとしてほしいんだよ。すべての人にちゃんと同じ権利が与えられる社会になってほしいね”

www.ghostsoftherepublique.com でニコラスとオレリアンについて、そして家族として認められるための彼らの奮闘についてもっと紹介しています。▼

ギャリー・フルトゥバイズは夫のトレバー(Trevor)、息子たちのノア(Noah)とメオ(Meo)と2匹のラブラドールレトリバーとオンタリオ州東部にて暮らしています。ギャリーはカナダ王立軍事大学に通い、カナダ海軍に勤めました。その後高校の物理学の先生とパートタイムのゴーストライターとなりました。朝4時半や、子供たちとの長いロードトリップやバックカントリーキャンピングの合間、ギャリーが家事当番のはずの時間など…いろんな時に執筆活動をする時間を見つけ出しています。この記事の写真はジェニファー・トークイニー (Jennifer Tocquigny) のご厚意により頂きました

 

「トレジャーコーストのマルケス一家」

ディードラ・アルベルヒト・フラッシュ (Deadra Albrecht-Frasch)

ジェレニー (白のドレス) 、キャサリンと子どもたち 4歳のリラと3歳の双子のルーシーとトレバー

ジェレニー・マルケス (Jelenny Marquez)とキャサリン・マルケス (Katherine Marquez)には3人の子どもがいます。4歳の娘リラ(Lila)、3歳の双子ルーシー(Lucy)とトレバー(Trevor)です。キャサリンとジェレニーは十年来のパートナーで、共通の知り合いを通したパーティーで出会いました。友人関係からどんどん発展していき、2015年には結婚しました。マルケス一家はフロリダ州ポートセントルーシーにあるトレジャーコーストというところに住んでいます。(グーグルで調べたところによると、トレジャーコーストは大西洋に面する3つの群をまたいでいるそうです。16世紀前半に起こった船の難破によりそのような地名となりました。

ジェレニーはキューバ出身で、12歳の時に家族と一緒にフロリダ州マイアミに移住してきました。キャサリンはニカラグア出身で、彼女の家族も彼女が8歳くらいの時にフロリダに移住してきました。ジェレニーは心理療法士でもあり、ビジネス、刑事司法、法医学を教える大学の先生でもあります。彼女は15年間先生をしており、ここ二年はオンライン大学であるUniversity of Peopleで教えています。ジェレニーは法医中毒学と行政学の2つの修士を得ています。加えて現在健康心理学の博士課程に通っています。キャサリンも刑事司法の修士を取得していて、今はパンデミックの関係で子どもたち2人と家にいることが多いです。キャサリンのお母さんはフロリダ州南部で暮らしています (お父さんは4年前に亡くなったそうです)。ジェレニーのお父さんとお母さんもフロリダ州南部に住んでいます。ジェレニーとキャサリンの住む町から車で2時間半ほどの距離のところだそうです。ジェレニーいわく、彼女の両親とキャサリンの母のどちらもが次第にジェレニーとキャサリンのふうふとしての暮らし方に協力的になってきているそうで、子どもができてからはさらに支えてくれるようになったそうです。

マルケス一家。左からジェレニー、ルーシー、キャサリン、トレバー、リラ

ドナーはどうやって選んだかって?ジェレニーはカリフォルニア精子バンクのオープンドナー形式を選んだと言っていました。オープンドナーとは、子どもが18歳になった時点でドナーに会うことを希望する場合は会う事ができるという制度です。ジェレニーはリラを妊娠し、キャサリンは双子を妊娠しました。三人の子どもたちすべて同じドナーです。ジェレニーとキャサリンがドナー選びをした際、病歴を中心に選びましたが、人種に関しても重視しました。キャサリンにはアジア人のルーツがあるからです。彼女のお父さんは日本人です。最終的には健康状態、病歴とドナーの子どもの頃の写真が可愛いかどうかで選びました。IUI(人工授精)を用いたにもかかわらず、キャサリンは双子を妊娠しました。彼女の家系には他にも双子がいるそうです。

興味深いことに、彼女たちは拡張家族も得たのです。同じドナーの精子から生まれてきた子ども、英語の兄弟/姉妹という意味のsiblingを文字ったdibling (ドナー兄弟・姉妹)、がたくさんいるそうです。なかには4組の双子たちもいるそうです。この記事が執筆された時点で、19人のdiblingがいました。マルケス一家の子どもたちは全てのdiblingと会ったことがあり、(コロナ前は)毎年家族で集まっていたそうです。カリフォルニア精子バンクでは、兄弟姉妹登録の制度があったので登録したとジェレニーは話します。少しずつ、他の家族と話したり会ったりすることを始めたそうです。毎年誕生日とクリスマスプレゼントの交換をしているそうです。プライベートのFacebookグループも始めたと言っていました。健康に関する情報など、家族間で共有されるべき情報を送り合うためです。

マルケス一家

ジェレニーはオンラインで心理療法を施していて、大学の授業もオンラインで教えています。なので、家族で長期の旅行へと出かけることができるのです。子供達と全てのdiblingを訪ねるために、アメリカ国中を旅行しました。今年はパンデミックの影響で毎年の家族の集まりを開催することができませんでしたが、来年はアメリカ中西部のどこかで集まることができるように計画しているそうです。ジェレニーとキャサリンは子供達が全てのdiblingと仲良くれるよう積極的に努力しています。家中にdiblingたちとの写真が飾ってあるそうです。ジェレニーはこれを運命だと思っている、と言います。全てのdiblingの家族がマルケス一家との交流を喜んで受け入れてくれたからです。FaceTimeで頻繁に連絡も取り合っているそうです。他の家族との交流を通して、ドナーの病歴にはなかったメンタルヘルスの病気が子どものうちにあることがわかりました。Dibling家族間の交流がなければこのような情報も知ることができなかったので、二人はとてもありがたく思っています。消化に関する不調を持つ子どももいるようで、このような情報共有もとても子育てに役立っています。

コロナウイルスはマルケス一家にも影響を及ぼしたかって?2019年12月後半にマルケス一家はディズニークルーズに参加しました。2020年1月初めに家族が帰ってきた時、家族全員風邪をひいていたそうです。キャサリンは1週間入院し、疫学者と感染病専門医からも診療を受けました。何が原因なのかを誰もつきとめることができず、キャサリンは敗血症になってしまい死のふちを彷徨ったそうです。ジェレニーと子ども達も病気でしたが、彼女達は入院せずにすみました。後にキャサリンは回復することができました。ジェレニーは、おそらく当時まだ発見されていなかった新型コロナウイルスだったのだろう、と考えているそうです。

フロリダ州中部の生活はどうかって?ジェレニー曰く、人種はほぼ白人で人種の多様性はあまりないそうです。しかし、ラテン系のレズビアン女性として今まであからさまな差別を受けたことはないそうです。しかし、LGBTグループのたくさんあるフロリダ州南部とは全く違うと言っていました。 “ここの人々はもっと保守的。でもみんなフレンドリーだけどね” とジェレニーは言います。4歳の娘のリラは、モンテッソーリ学校へ通っていて、学校委員の一員だそうです。委員会は反差別的でインクルーシブな学校環境を作るために一躍かっているそうです。双子達は来年から学校に通い始めるようで、リラだけが8月から対面の学校へ通っています。学校は元々小さく生徒が1クラス15人しかいなかったようで、今はさらに個人の間隔をとるようにしているそうです。リラはマスクをしてソーシャルディスタンスを取りながら対面の授業に参加しているようです。

二人は将来もっと子どもが欲しいかって?ジェレニーは今もうすでに三人の子どもで手がいっぱいなので、これ以上は考えていないと言います。双子が生まれた時リラはまだ18ヶ月でした。双子が生まれる前、ジェレニーとリラは一から自分たちの家も建てたそうです。双子は予定日から4週間早い36週間目に生まれてきました。双子は4週間新生児特定集中治療室に入院しなければならず、家族にとっては気の休まらない日々が続きました。双子は無呼吸発作を患っていて、呼吸をモニタリングする機械をつけてやっとお家に帰ってくることができたそうです。睡眠のトレーニングを経て、2ヶ月後には双子は一晩続けて眠れるようになりました。双子は昼寝もします。毎日の睡眠ルーティンがあることは子どもたちにとってとても大事なことだとジェレニーは言います。

ジェレニーは10年間里親制度に関するボランティアをしています。里親制度で育つ子どもたちを経済的に支援する非営利団体の理事をしているそうです。博士論文は里親制度で育つ子どもたちへの性的虐待の影響だそうです。 “私にとってこれは啓発活動の一部なの。私が夢中なことの一つ。私はこれについて本を出版したくて、もう半分書けているの”、とジェレニーは言います。キャサリンとジェレニーは里親として登録していますが、まだ子どもを受け入れたことはないそうです。パンデミックの影響で今里親として子どもを受け入れることは難くなっているようですが、受け入れる準備はいつでもできていると二人は言います。まだ受け入れることのできない間でも、ジェレニーはアドボカシーとパブリックスピーキングを続けていて、里親制度の子どもたちのための寄付も集めています。人々がジェレニーを見るたびに、 “おっと、またあの子がお金を集めに来たよ” と反応するんだ、とジェレニーは冗談を言っていました。

政治はどうかって? “政治面ではインクルーシブで多様性のある社会へと発展しているね。バイデンがすごく多様な内閣メンバーを選んだことが嬉しい。国民を一つにすること同じく、バイデンとハリスのような人格のリーダーは今のアメリカにとってとても必要なことだと思う” とジェレニーは嬉しそうに言います。オンライン心理療法で政治に関する不安について相談してくる患者が今までに無いほど増えたと言います。“私はGay Parent Magazineに心を動かされるの。様々な形の家族がいるんだってこと、そしてそれを当たり前なんだって社会へ広めることがとても大事だからね”

一家は旅行や仕事やボランティアでいつも大忙し。そんな中最近家族写真撮影に行ったそうです。彼女たちの友達が運営しているTwyla Jones Photographyがビーチで素晴らしい家族写真を撮影しました。大変な時でも愛と平和に溢れる家族だとよく分かる写真です。▼

ディードラ・アルベルヒト・フラッシュは彼女の妻であるアリス(Alice)と二人の娘たちシェイ(Shay)とデブリン(Devlin)とシカゴ都市圏にて暮らしています。ディードラはノースカロライナ大学シャーロットの心理学部卒業で、医療分野で働いています。仕事のないときは執筆活動やピアノとトランペットの演奏をするのが好きです。

この記事の写真はTwyla Jones Photographyによるものです。

 

「MomとMamaに育てられて」

ジアナ・アイゼンバーグ (Jiana Eisenberg)

左:アンヤの大学の卒業式にて。左からリー、アンヤ、ペグ。/ 右: 家族の昔の写真。上からペグ、リー、アンヤ

大学の友人であるアンヤ・アルデン(Anja Alden)さんに彼女の二人のお母さんに育てられた体験についてインタビューさせていただくことができました。ある日アンヤと何気ない話をしていた時に、偶然私たちどちらもが二人お母さんの家庭で育ったことを発見したのです。私たちは家族の話をするときに、「私の両親」という代わりに「私の母たち」という言い方をしていたので、私たちどちらもが同じような家族の形で育ったのだと気づきました。
私は今までたくさんの人から、二人のお母さんに育てられたことについて様々な質問をされてきました。なので、アンヤのように同じような境遇で育った他の人たちも変な目で見られたり詮索するような質問をされたことがあるのか知りたいと思っていたのです。アンヤの体験についてインタビューをすることができました。

ジアナ:アンヤはどこで育ったの?

アンヤ:お母さん二人にバーモント州の南部で育てられたよ。

ジアナ:お母さん二人に育てられるって、どんな感じだった?

アンヤ:この質問って何回もされたことがあるんだけど、いつも回答に困るの。私にとっては普通だったからね。朝起きて、学校に行って、友達と遊んで、サッカーや他の部活に参加して、それで家に帰ってくるの。唯一他と違ったことといえば、お母さんとお父さんじゃなくてお母さん二人が家で帰りを待っていたこと。お母さん二人に育てられて良かったけど、特に他と比較するようなことなんてないよ。

ジアナ:養子として受け入れられたの?お母さんのどちらかとは血が繋がっている?

アンヤ:厳密に言えばそうだね。私はお母さんの片方とは養子という関係で、もう片方のお母さんとは血が繋がっているの。血の繋がっている方のお母さんは私を養子として手続きする必要はもちろんなかったけど、もう一人のお母さんは私を養子として手続きしたから、法的にどちらも私のお母さんなんだ。

ジアナ:お母さん二人と外を歩いている時に、変な目で見られたことはある?

アンヤ:多分無いと思うけど、バーモント州南部のとても理解がある地域で育ったからかな。もしかしたら子供だったし変な目で見られていても気づかなかっただけっていうのもあるかもね。

ジアナ:同性婚に理解の無い友達はいた?

アンヤ:二人お母さん家庭の家族ぐるみの友達もたくさんいたし、大概の人は初めは理解できなくても比較的速く理解してくれるようになったから問題はなかったかな。もちろん無礼に接してくる人や拒絶してくるような人にも会ったことはあるよ。でも友達の中でそういう人はいなかった。私の家族に対して否定的な人とは基本的に友達になることはないからね。

ジアナ:小さいころに変な質問をされたことはある?例えば、「あなたのお父さんはどこ?」みたいな

アンヤ:もちろん!!本当にたくさんの変な質問されたよ。「どっちのお母さんがお父さんなの?」とか「あなたのお母さんたちにあなたはストレートだってカミングアウトしたの?」とか。お父さん的な存在がいなくて可哀想にって言ってくる人も時々いたね。だいたい変な質問をしてくる人って、悪意があるわけじゃなくて興味本位だったり理解が足りないってだけだと思うんだけど。でも侮辱的な態度を取ってくる人もいたね。私が子供の頃に比べて、社会の同性カップルに対する理解が広まってきて変な質問をされることも随分減ったよ。

ジアナ:お母さんのことは何て呼んでるの?

アンヤ:私が小さい頃はママ・ペグ (Peg)とママ・リー (Lee)って呼ぶように練習してたみたいなんだけど、私は結局どっちもマミーって呼んでたみたい。大人になった今はペグの方をマム (Mom) とリーの方をママ (Mama)って呼んでいるよ。他の人に二人のことを話すときは名前を使うようにしてる。「お母さんが」って話すといっつも「どっちの?」って聞かれるからね。▼

ジアナ・アイゼンバーグはニューヨークで二人のレズビアンの親に育てられました。この記事は彼女がLGBTQ+の親に育てられた若者にインタビューするGay Parents Magazineの連載の一部です。この記事の写真はアンヤのご厚意により頂きました。

 

「ゲイのお父さんたちとストレートの息子たち」

クリストファー・カティス (Christopher Katis)

著者クリストファー・カティス(右)と夫のケリー・ハンティントン (左) と息子たちのニコ (右) とガス (左)

私と夫のケリー(Kelly)が父親になった時、人にどんな質問をされても答えていこうって二人で決めた。同性の親や私たちの家族についてみんなに理解してもらうために良いと思ったからだ。

私たちの家族や友達は思いやりがあり応援してくれるような質問をしてくれた。

「父親になるための行程はどんなものなの?」

「母親が親権を取り戻す可能性はあるの?」

「どの苗字にするの?」

知り合いや他人はもっと飛び抜けた質問をしてきたよ。

「いずれは子どもに養子だと伝えるつもりなの?」(私たちは言わなくても子どもが自分で気づくだろうと思っていたんだけど。)

「ゲイの父親だから子どもにもスポーツをさせるの?」(ケリーはオールスター リトルリーグのピッチャーで、私は高校のテニス部だった。サンフランシスコジャイアンツのシーズン券も持っていたよ。)

「子どもがストレートだって言ってきたら許してあげるの?」(ちょっと、どういう質問?!)

子どものセクシュアリティをコントロールできると思っている人が思ったよりも多くいてとても驚いたよ。言っとくけど、もし私に他人のセクシュアリティを決めることができるようなパワーがあるなんてことがあれば、ライアン・ゴスリングをつけまわしちゃうよね。

私たちが子どものセクシュアリティをゲイにするって心配していた人たちは無駄な心配だったね。私たちの二人の息子は今、思春期ホルモンで一杯の10代のヘテロセクシャルだよ。気持ち悪い年頃だって?ほんと同感だよ〜。

長男に初めての “彼女” ができて初デートに行った時のことをよく覚えているよ。なぜ “ ” をつけているかって言ったら、7年生 (中学1年生) の恋人同士なんてたかがしれてるからね。

初デートはバレンタインデー直前の週末だったんだ。長男を地元のアイススケートリンクまで送って行って、20ドルを渡したよ。彼女に売店で何か買ってあげるんだよって。長男は熱心に頷いていたね。でも私がそこで送り出すんじゃなくて、車から降りて一緒にアイススケートリンクまで付いてくるってわかった瞬間に、そんな彼の情熱は一気に恥ずかしさへと変わってしまったよ。

古臭いってわかっているけど、まずはどんな状況なのか確認しないでデートになんて送り出したくないからね。結局のところ、誘ったのは6人の女の子のグループで、そのうち2人の “彼氏” も来たってことだった。長男にとっての苦行はまだ続いたよ。私が彼女を紹介してよって促したからね。

そしたら恥ずかしがって何も言わずに女の子の方に首だけ振って合図してきたんだ。ほんとだよ。でも長男は甘かったね。そんなの通用しない。だからちゃんと紹介してよって言ったんだ。

「お父さん、こちらがガールフレンドのL.L.。L.L.、これがお父さん」私と握手するときに、その女の子は震えていたよ。可哀想に。でもね、私みたいなお父さんでこんなに緊張してしまうんだったら、デートなんて百年早いねって思ったんだ。

クリストファーとガスを抱っこするケリー

数日後、Lにあげるバレンタインデーのプレゼントを買いに行こうって長男を誘ったんだ。そしたら馬鹿にするような顔でこっちを見ながら、もう別れたよって言ったんだよ。初デートからまだ3日でもう別れちゃったのかよ!

どうして別れたの?って聞いたら、Lにはずっと他に好きな人がいたみたいなんだって。他に好きな人がいるのに何でデートに来たんだろうって長男は困惑していたよ。私はその質問に答えられなかったね。だから代わりに、君は恋愛関係でとっても大事な教訓をこの若さで得られたんだよって言ったんだ。

それから他に好きな人なんていないガールフレンドが何人かちゃんとできたみたいだよ。

次男にも何人か今までにガールフレンドがいたみたいなんだけど、彼は全然紹介してくれないんだ。紹介したらどんな目に遭うかってわかってるみたい。長男も協力して硬く口を閉ざしちゃって、「可愛いかったよ」しか教えてくれない。

1歳のニコと5歳のガス

ゲイの父親としてストレートの息子を持った経験で面白いなって思ったことは、私は女の子のことについて全くわからないけど、平等な恋愛関係ってことに関してはすごく良いアドバイスができていると思うんだよね。

これができるのは多分、自分が他の女性と性的な関係を持つことに全く興味が無いからかな。勘違いしないでよ、女性は綺麗で強くて素晴らしい人々だと思っているよ。でも私のロマンスにとっては何か足りないだけなんだ。

だからこの違いをしっかり伝えるのは私たちの子育ての中でとても重要なことだった。女性と少女は繊細で、うぶで、弱い生き物だから、社会の現実からは守られる存在なんだっていう女性嫌悪的な迷信は無くしていこうって子育てを始めた時からずっと努力してきた。

生まれながらの性格なのか二人のゲイの父親に育たられたからなのかは分からないけど、私たちの息子は二人ともすごく男勝りなんだ。ジムに通ってるし、アイスホッケー選手だし、自らの意思で軍事学校に入ることも決めちゃった。まあまとめると彼らはブッチ (Butch) なんだ。

だからそんな男勝りの思想が定着してしまう前に、女性についての古臭い考え方を消し去ることはとっても重要だった。自慢するわけじゃないけど、うまくいったと思う。息子たちがどんなに行儀がよくて、礼儀正しくて、周囲に敬意を表しているかって周りから聞くことほど嬉しいことはないね。父親たちがどんなに礼儀正しいかって言われることはないけどそれは置いといて (笑)

もちろん、逆の嬉しさもあるよね。彼らの礼儀正しい姿だけ見てきた人が急に全然紳士的じゃない姿を見ると面白い反応も見れるよ。何年か前に、当時80何歳かの私の母が長男のアイスホッケーの試合を観に来たんだ。彼が他の選手たちを壁に押しのけたのを見たときに、母は立ち上がって彼の名前を驚きと叱責を交えた声で叫んだんだ。周りの観客は笑っていたよ。リンクの上では侍者のように礼儀正しくないんだよって私たちは言ったんだ。

息子たちの恋愛の面ではゲイの父親がいて有利だったことだってたくさんあるんだ。なんだかチャンスが増えるみたいなんだよね。女の子たちはゲイの父親に育てられたことをとても愛らしいと思うみたいで、いろいろ聞きたがるんだって。そして大体思いやりのハグをしてくれるらしい。

でもさらに大事なことは、男女は平等だから女性も全く同じように扱わなければならないんだよと教え込んで女性の神秘性を取り除いたことで、他人と接する自信がついたってことかな。同い年の子達はまだ他の性別の人とどう接したらいいのか分からない子どもたちがたくさんいるからね。息子たちが他の子達にどうやって女の子と接するべきかアドバイスをしているのが聞こえてくる度笑顔がこぼれるよ。大体の時はその子に変に接するんじゃなくて普通に話しかけたらいいんだよって言ってるかな。

左からガス、クリストファー、ニコ、ケリー

そして一番大事なことは、女性を性的な目で見ないゲイの父親として教え込んだ境界線かな (ストレートの父親たちができてないっていうわけいうわけではないよ)。#MeToo運動のおかげで社会がやっと女性が面するいろいろな問題に目を向け始めた今こそ大事だね。

#MeToo運動を通してたくさんの女性が今まで面してきたひどい経験を社会に伝えてから少しして、長男にもし女の子をデートに誘って断られたらどうする?って聞いたんだ。彼が「ありがとうって言って諦めるかな。うーん、やっぱりありがとうって言わずにただ諦めるだけかな。嫌味な奴になる必要ないしね」って答えた時、正直すごくホッとしたんだ。

率直に言うと、ストレートの息子でもちゃんとしっかり素晴らしい人間に育て上げることができたんだ実感したからね。

正直、ゲイの父親として唯一の気まずい出来事は、長男にセックスについてきちんと話そうとした時かな。どうやるのかっていう詳しい質問がなくてよかったよ。グーグルか何かで検索するしかできないからね。それはさて置き、気まずい瞬間は、長男とガールフレンドがさらに一歩進む準備ができた時は私のところに伝えに来てほしいこと、そして私が二人にコンドームを買ってあげるということを話した時なんだ。その時が来たら私がコンドームの使い方を見せてあげるとも言ったよ。でも恐怖に満ちた長男の顔が心配を全て表していたよ。

“バナナを使って!バナナを使ってだよ!!” ▼

クリストファー・カティスは今まで広報担当者としてキャリアを築いてきました。ここ十年は、QSaltLakeにて毎月 “Who’s Your Daddy” (あなたのパパは誰?)という受賞歴のあるコラムを執筆しています。彼はユタ州マレーにて31年来の夫ケリー・ハンティントン (Kelly Huntington) と10代に息子達ガス (Gus)とニコ (Niko)と暮らしています。この記事の写真はクリストファーのご厚意により頂きました

(「Gay Parent Magazine March-April 2021 | Issue #135」より抜粋)

■Gay Parent Magazine
https://gayparentmag.com/

 

【US-Japan レインボーキャンプ!】10月23日(土)@大阪開催!

「LGBTQ+当事者としてパートナーと暮らしてしているけど同じような家族が周りにいない……」

「他のLGBTQ+家族はどうやって子育てしているの?」

「まだ学生だけど自分の将来の家族像がイメージしづらいな……」

 

様々な疑問や不安を抱えている方、ぜひ一緒にお話ししませんか?

LGBTQ+ファミリーとユースを対象としたイベントを開催します。

 

詳細・参加のお申し込みは下記ホームページをご参照ください!
https://nijiirodiversity.jp/2973/

 

※このプロジェクトは在日米国大使館により助成されています。プロジェクトの内容や見解は当団体のものであり、在日米国大使館のものではありません。

SHARE

  • LINE

URLをコピーしました。

PICK UP

follow us